2016年12月30日金曜日

LAST FIGHT IN FUKUSHIMA~南相馬 Back Beat 20161112

白浜さん、小山さんのそれぞれのサイトやFBにもコメントや写真が掲載されています。
オーディエンスと共に作り上げた素晴らしい空間がそこにありました。
当日の様子についてはお客様の中で素晴らしいリポートをされた方がいらっしゃいますのでごらんください。
作成者の方、どうもありがとうございます。

2014年11月に続き、会場では支援Tシャツを販売しました。
九州ツアー、本会場にてお買い上げの方々、ありがとうございました。
直接お礼をできずに申し訳ございませんが、
この場を借りて感謝申し上げます。
今回は地元bandメンバーより寄付を目的としたバザー出品の企画を設けました。
またメンバーの勤務先でありますパイオニア設計様よりも
多額のご寄付を頂きました。
こちらでも報告させて頂きましたが
上記の収入につきましては計72,000を未来の福島こども基金さんへ寄付しました。熊本支援マラカスの売上6,000円につきましては
小山さんが寄付された熊本県健康福祉政策課 義援金担当係
に寄付をしております。

 
今回はfast actが3組出演し白浜さんのご好意により再び地元bandが共演を果たしました。
御二人それぞれの熱いステージのあとのフィナーレは小山さん、白浜さんのバックとしても共演し
ライヴならではの素晴らしい時が流れました。ハヤブサが舞い平和を願う曲で締めくくられた夜。
会場の皆さんには楽しんでいただけたことかと存じます。
お忙しい中、ご参加くださった方々、どうもありがとうございました。
中には遠方からの方々もいらっしゃいました。また、参加できずとも応援も頂きました。
機会がありこの地を訪れた方々に少しでも状況を知って頂けたかと存じます。
機会がありましたらまた何方かに伝えて頂けましたら幸いです。
九州ツアーでお疲れの中での福島入りをされた白浜さん、小山さんとスタッフの方、
本開催に向けて様々な支援、お手伝いを頂いた方々に感謝致します。
どうもありがとうございました。

 白浜さんは3度目、小山さんは2度目の福島入りとなります。
常磐道をいわきで降り、久之浜の道の駅で食事をした後、6号線で北上しました。
風景の変貌を遂げる富岡駅に立ち、そこから時が止められた富岡町内を廻りました。
以前より線量は下ったとはいえそこは居住に適してるとは言い難い環境であることは否めません。
その富岡町では空家バンクの構想が進んでいます。
汚染地に6年間放置された家屋です。目的が違う気がするのは私だけでしょうか。


 除染土が並ぶ富岡駅周辺。駅舎や周辺の傷跡を象徴するかのような建物は段々と姿を消しています。
津波の傷跡が消え去ることと事故による汚染の状況が消し去さられようとしていることはひとつのコントラストを描いているかのようです。


           陸が下り砂浜が消失した小高区の村上海岸を塚原海岸から望む。
視界から海景を奪う防潮堤は本当に必要なのでしょうか。


 南相馬市原町区の復興住宅。仮設住宅から快適性は向上するでしょうが、お一人の方はコミニュケーションが大切な状況となります。目が届かずに起きてしまうこと哀しい事態を避ける注意が必要でしょう。
小山さんを撮りつづけているカメラマンの方がライヴから同行してあちこち撮影されました。
同じく同行された関東から駆けつけたファンの方も・・
状況を知る方が一人でも増え、またそこから認識の漣が拡がることでしょう。


 塚原海岸からの阿武隈山地を望む。2年前は夕焼けでした。

 当地を様々の分野の沢山の方々が訪れています。
恐らくですが、ガイドつきでくまなく廻った方はそう多くないでしょう。

今回も仮設住宅集会所で夜を過ごし、現地にお住まいの方の声を聞き、前回訪れた地を廻りました。プラントの位置からの土地勘をつかんだ上で小高区から原町区の避難先までの実際の避難ルートも体験しました。
被害の実相に目を向け、変遷を辿る視点で臨まれる方はもっと少ないと思います。
御二人の想いは歌を通して伝わってきます。


 6号線沿いの除染土置き場から遥か中通地方と仕切る形の美しい阿武隈山地。
除染不可能の巨大な放射性物質の固まりとなってしまいました。
カメラマンさんの要望から巡り合った原町区のひまわり畑。青い空の下希望への笑顔群のようです。

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